当店のカキ氷はキッチンカーで提供してきたメニューがベースになっています。イベントに来る子どもたちに喜んでもらえるように味のバランスやメニューの構成を考えてきました。例えばいちごソースはただ甘いだけでは飽きがきて最後まで食べられないので、甘く煮詰めたいちごとフレッシュないちごを混ぜて酸味を調整しています。定番メニューは特にシンプルなものが多いですが、子どもからお年寄りまでたくさんの方に食べてもらえるように工夫をしています。今年から新たに定番化したものあり、種類も増えています。是非あなたのお気に入りを見つけてみてください。
コーデュロイの生地には昔から惹かれるものがあった。高校生の時に特に流行りでも無かった細畝のライトグレーのコーデュロイの5ポケットを買ったときも、新卒で入社した洋服屋で太畝のチャコールグレーのコーデュロイのCPOジャケットを初めて社販で買ったときも、その時は理由は考えていなかったが、コーデュロイの持つ品の良さと野暮ったさの同居する独特の風合いに魅力を感じていたように思う。滑らかな光沢が生む上品さと、ワークウェアにも使われる地厚な生地のもつ粗野な表情。この相反する二つの性質がコーデュロイに惹かれる理由だ。いま世の中は何度目かわからないがデニムブームの真っ只中で、ビンテージや復刻やリジッドなどそれぞれのスタイルで皆デニムを当たり前のように楽しんでいる。しかし皆と同じはつまらないと思うのもまた人で、デニムに替わるものは無いかと考えてみたところ思い当たったのがコーデュロイである。もちろん古いコーデュロイの作業着で目が飛び出るほど高い値のついたものもあるだろうが、一般にはそれほど人気のある素材、注目されている素材ではない。だが、コーデュロイはその畝の太さでも全く表情が変わり、シャツからジャケット、コートまで幅広く活用されてきた。秋冬の素材とも思われがちだが、細畝のリーバイス517をサーファー達が愛用していたように春夏に着ても良い。またコーデュロイ特有の毛羽立った生地は経年変化により皺や褪色をともなって着る人に寄り添った表情を作る。まさにデニムのように人々に愛されるに足る資質は十分だと思われる。このようなコーデュロイの魅力を発信していくにあたって、まず通年で使えるアイテムとしてバッグを製作することにした。バッグの詳細はまた別の機会に
世田谷美術館で開催されていた「連画の河」展に行ってきた。1枚の記念写真を起点に絵を描き、またその描かれた絵をきっかけに次の絵、またさらにその絵からインスパイアされて次の絵を、と数珠繋ぎで制作された「連画」というスタイルの絵画の一群を、まさに河の流れのように体験できる展示だった。何か一貫したテーマや主義主張が込められているというよりは、純粋に目の前の絵に反応して自分の中にあるものを外に出して画面にぶつけているように感じた。また自分を取り巻く時代の空気や日々届くニュースと、個人的な思い出や興味、こだわりなどを自由にミックスして表現されている様子は、たまたまそこにあった椅子やテーブル、壺などを使ってコミカルな動きで敵を倒していくジャッキーチェンのような武術の達人の動きを連想した。若いうちはこういった自分を表現しようとかエゴにとらわれてしまいがちだが、案外目の前のものに素直に反応するのを沢山重ねていくだけで自分だけのオリジナルのものは生まれていくのかもしれない。
自分達で仕事をすると決めた時、予想以上に悩み沢山考える時間が増えました。その時に出会ったのがみうらじゅんさんの『ない仕事の作り方』という本です。仕事ってこうあるべきで、子供はこうあるべき。小さな頃から大人のいう「こうあるべき」に疑問があった私の脳みそに、いい意味でも悪い意味でも刺激を与えてくれた本です。仕事になる、お金になる事をやってみるのではなくて、好きだな、いいな、と興味を持った事をとりあえずやってみる。好きになってみる。そしてそれを仕事の1つにしてみる。そんなやり方で10年くらいfuwariを続けてきました。私は、若いころテキスタイルデザイナーになりたいなと思った事があって、毎日毎日描いていたけれど挫折しました。でもやっぱり描くのが好きで、クレープの紙を描いてみる事にしました。紙には直接的な利益はないです。でも見てくれた方が喜んでくれたのを見てひっそり私も喜んでいます。それが私の活力になっていて、仕事が楽しくなります。そんな事を繰り返しながらfuwariの秘密基地を作ってきました。これからもこの自己啓発本を片手に、ない仕事を探す日々を繰り返して、お客様に喜んでもらえるお店になれたらいいなと思っています。kanako
駄洒落や掛け言葉が好きで、よく口にしては失笑を買っている。くだらないことや馬鹿にされて笑われるようなことに興味がある。 「駄」とはそもそも馬に載せて運ぶ荷物のことで、駄馬とは荷馬のこと。荷馬は乗用の馬よりも価値の低いものと見なされたことから、「駄」にはつまらない、価値の無いもの、という意味ができたという。 第一次世界大戦の戦火にあえぐ20世紀初頭のヨーロッパで、一つの前衛芸術運動がおこった。 その運動は伝統的な芸術を拒絶し、無意味で不合理な表現を特徴とする反芸術主義という考えのもと、世界中の都市で流行し、「ダダイズム」と呼ばれた。 日常的なありふれた工業製品を芸術作品として提示したり、全く意味のない文字の羅列を詩として発表したりすることで、作者の特権性や芸術の価値を馬鹿にして無意味なものにする狙いがあった。 「ダダ」の由来は諸説あるが、フランス語の「木馬」の幼児語からという説がある。 この「馬」に関する奇妙な一致を考えることは意味のあることでは無いかもしれないが、人生を楽しむことにとって決して無駄ではないと信じている。